本田透 堀田純司「自殺するなら、引きこもれ」

いい学校からいい会社に入って、一生安泰という時代は終わりを告げた。かたや、学校で頻発するいじめ自殺。それを隠蔽しようとし「いじめはなかった」と強弁するダメ教師と無能な教育委員会。性根の腐った加害者とそんなわが子をかばう親。さらに教師自らがいじめに荷担することも—-。
もはや、こんなストレスだらけの学校に通う理由はひとつもない!
本書では、多くの人間が囚われている「学校信仰」を相対化し、不登校児や引きこもりを病気のように扱う社会の価値観がいかにおかしいかを解く。そして、共同体の解体と雇用の流動化が進み、価値観が多様化した時代を前向きに捉え、それに適応する新しい生き方を提案する。

p26
資本主義社会に適応できる大量の労働者を産み出すために、全国民に対する教育が必要不可欠になったのです。ですから、学校は子供に読み書きだけでなく、道徳観念をも教えなければならなくなりました。神への信仰心を教えるかわりに、国家への忠誠心。愛国心を養う必要も生まれました。また、優秀な労働者を揃えるため、数学や理科といった科学知識を子どもに教ええる必要も生じました。

学校とは労働者を育成するための施設、という説です。そういってしまうと不登校だと社会に順応できなくなるかのように思えますが、学校行ってなくても順応してる人はいますね。

p63
学校とは資本主義社会の雛形なのです。そこで生徒は資本主義の基本ルールを徹底的に叩き込まれるのです。
たとえば、学校を休むという行為は、会社を欠勤するということに等しい罪悪です。
教室で朝から夕方まで黙って座っていられないということは、会社の職場で黙々と仕事を遂行できないということに等しい。
教室や部活でいじめられる生徒は、職場で上司や同僚とうまくやっていけない社員に等しい。
勉強しない生徒は、働かない社員、余剰価値を生み出さない労働者に等しいのです。

個人的には学校は刑務所と同じようなものだと思っています。決められた服を着て、チャイムの合図で行動し、看守(先生)には絶対服従。

p177
筋肉トレーニングの基本が、「筋肉をわざと破壊して、超回復させる」という逆説的な方法論であるのと同じように、精神のトレーニングにおいても「精神をわざと孤独や苦境に追い込んで、超回復させる」という方法論が有効なのです。
他者と切り離された孤独は、人間の想像力を発達させます。想像力とは、まあ妄想力と呼んでもいいのですが、つまりは目の前の現実とは異なる「世界」を脳内に算出する能力です。

精神トレーニングというと、理不尽なことがあっても我慢するといったことを思い浮かべがちですが、そうではなく孤独に身を置いてみるということ。

p181
現代の学校制度が生産しているタイプのサラリーマン型人間には、さまざまな状況に的確に応じられる臨機応変さとオールラウンド性、そして円滑な人間関係を構築する能力を求められるのですが、学校が嫌うタイプの人間……一つの状況にのみ集中し続ける頑固さ、一点突破型の知識や技能、人間関係よりも自分の仕事にこだわりを持つタイプの人は、ADHDだのLDだのと言われていますが、つまりはある一つの能力に特化したタイプの人間なのです。

ADHDは発達障害の一種、LDは学習障害です。これらの方はサラリーマンには向いていなくとも、他の分野ではものすごい力を発揮するように感じます。

p203
「引きこもりの力」というのは確実にあるわけです、人生に引きこもり時期を続けることのメリットは、
・学校や職場に通い続ければ死んでしまう人も、緊急退避することで生き延びられる
・同様に、学校や職場に追い詰められて犯罪者になるルートも回避できる
・ストレスで傷ついた精神が回復あるいは超回復する
・世間から隔絶されるので独自の視点やアイデアを思いつきやすくなる
・乱読や独学で個性的な知識体系を得ることができる
・引きこもることによる・不足感・焦燥感が、その後の人生における行動力・原動力となる
・一時的に空白状態になることで、自分が本当にやりたいことが見えてくるかもしれない

エジソンは小学校を中退し、部屋に引きこもって本を乱読していたそうです。サラリーマンには向いてない人間にはなりそうですが、特殊な才能が伸びるのではとも思います。


引きこもっていた経験のある作者からの、メッセージ性の強い本です。学校が向いてないなら逃げればいいんだよ、と少年少女に教えてくれます。

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